”個”として

”個”として生きる。それは生命的にということではなくて精神的にだ。人は”個”として生きているなんてそんなこと考えずに生きている。当たり前だ。だけども、実は”個”として生きている瞬間は案外短いんじゃないだろうか?

子供の頃は「○○さんの息子さん」という位置付けで生きている。それは両親ありきでの存在だ。到底”個”として生きているとは言えない。少し成長すると、今度は「○○ちゃんのお兄ちゃん」などと、なぜか後から生まれた妹を主体で呼ばれることも多くなる。こういう誰かありきの人生は中学生卒業あたりまで続いてしまう。

高校生になるとようやく”個”としての人生が始まる。妙に生きるということを意識し始める。なぜ生きている?だとか死んだらどこにいく?だとかそういう類のことを意識し始まる。けれども、ようやく”個”としていきることを手に入れたにも関わらず人はすぐにそれを手放すことを選択してしまう。

社会人になり「○○会社の方」という社会的ポジションありきの人生が始まる。さらに結婚し子供が生まれると「○○さんちの旦那さん」とか「○○ちゃんのお父さん」などなど、どんどん”個”から遠くなっていく。実際に”個”である時間はトイレかお風呂の中だけなんじゃないだろうか?なんて思う。

誰かの為に何かがしたい。それは素晴らしいことだと思う。だけども、誰でもない自分のためだけに生きる時間というのは必要なんじゃないだろうか?その空間は誰も巻き込まず、己のみの空間。己のみの時間。

そこで生まれた何か。例えば、言葉だったり曲だったり作ったアプリだったり誰かと何かがしたいというアイデアだったり。そういう想いを発信したい。それが俺にとっての”個”なのかもしれない。いつまでのハンドルネームでブログを描いたりしてるのも”個”を意識させる為の手段なのかもしれない。

ストリートの黒幕

今日からあなたが居ない世界 今から僕は要らない世界

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